こんにちは!はまちゃん(@wakuwakukeigo)です。
日本を震撼させた2011年に起きた3.11東日本大震災。
未曾有の大災害により、日本全国で多くの地域が地震・津波による壊滅的な被害を受けました。
福島第一原子力発電所のあった福島県では、震災被害に加え原発事故が発生。
放射性物質の放出により避難指示が発令し、人が住めなくなってしまったことは記憶に残っている人も多いでしょう。
では、避難指示が解除され復興が進みつつある被災地の現状はどうなっているのでしょうか。
そこで、今回は6年間も地域全域が避難指示区域に設定されていた富岡町で、復興・まちづくり活動に取り組む『とみおかプラス』の事務局長香中さんにインタビューしました。
貴重なお話がたくさん聞けたので、前編と後編の2回に分けた記事構成になっています。(本記事は前編)
地域を盛り上げようと頑張っている人に本記事が届くことを祈っています。
タップできる目次
福島県富岡町とは
本日はよろしくお願いします。それではまず、香中さんが富岡町出身でないにも関わらず、富岡町で住むことになったキッカケを教えていただけますか?
元々東京の広告会社に勤めていて、東北エリアの震災復興に関わる仕事をしていました。
定年間近の時に、富岡町の地方創生人材の公募をしていることを見たことがキッカケで、昨年4月から『とみおかプラス』の事務局長を勤めています。
まだ、移住ほやほやですよ。
まさか、この歳で新天地に乗り込むほどの闘志が湧いてこようとは。笑
タイミングがピッタリだったんですね!
富岡町はどんなところですか?
郡山の東の方向にある、浜通りという福島県の太平洋沿岸に位置する面積68.39km2の町です。
東北らしくない温暖な地域で暮らしやすいですね。
雪もほとんど降らないので、いわゆる「東北」という北国のイメージではなく、北関東?という感じでしょうか。
冬にスタッドレスタイヤを交換しない方もいたりします。
豪雪地域のイメージだったので驚きです!
観光名所は富岡町の宝『夜の森の桜トンネル』
観光名所は何でしょう?
はい!富岡町民の誇り『夜の森の桜トンネル』です。
樹齢80年以上の2.2kmにおよぶ桜並木は圧巻ですよ。
出典 花の王国ふくしま
キレイや〜
明治時代に住民がみんなで協力して植樹したという歴史を持っています。
昨年は全ての桜並木の下を、みんなで歩けるようになりました。
ふるさとの桜の美しさに感動した方も多かったでしょうね。
地元の方は桜の話をずっとするぐらい桜への愛着は深いですからね。
多くの方が桜との再開に喜びました。
引用 とみおかプラス
富岡町の現状。避難指示解除を受け人口の半分が移住者の町に
地震と原発事故は、住民の暮らしに大きな影響を与えたと思いますが、現状はどうでしょう?
富岡町は3.11東日本大地震、および福島第一原発事故で、6年間もの避難生活となりました。
現在も、町内の一部の地域で避難指示が続いています。
震災前後で人口の戻り具合はどうでしょう?
震災前は福島第一原発と第二原発のちょうど真ん中に位置することもあり、かつては公務員、商工業、農業に従事されたり、関連企業の社員が住む形で16,000人ほどの営みがあったと聞きます。
現在は2,000人ほど。
町出身者が1,000人、移住者が1000人の半々なんですよ。
なんと!日本の中でもかなり珍しいケースですね。
そうですね。
震災からもうすぐ12年。長い年月が経っているので、特に若い世代は避難先で、生活の基盤ができていて、子どもの進学などで簡単に引越しができない事情があるんですね。
富岡町出身者ではない方が富岡町に移住する理由って何があるんでしょう?
大きく2つの理由があります。
1つ目は原子力発電所のあった大熊町と双葉町よりも避難解除が早かったこと。
そのため、第一原発の作業関係者の拠点として富岡町が選ばれたという要因があります。
2つ目は町自体の賑わいづくりによる成果。
『とみおかプラス』という一般社団法人を作ったり、町、町民、それぞれのレベルで様々な取り組みをしたことで、移住者を惹きつけたと考えています。
町の機能をマイナスから取り戻していく『とみおかプラス』の事業内容
まちづくりの中核を担う『とみおかプラス』について教えてください。
『とみおかプラス』は平成29年1月に設立されました。
ちょうど避難指示の解除が始まったタイミングですね。
富岡の「未来に向けたまちづくり」を主導する民間主体の団体です。
出典 とみおかプラスとは
まさに、復興まちづくりのために作られた組織なんですね。
そうですね。
- 町の基本機能を取り戻していくこと
- 富岡町を応援してくれる人の受け皿になること
この2つが私たちの役割です。
町の基本機能を取り戻す
町役場としても、人が戻ってくるようになると、町の機能を民間の力を借りながら取り戻していかなければなりません。
例えば「新聞を購読したい」という方がいたらどうします?
新聞社に電話・・・アレっ!?
そうなんです。笑
当然、新聞社もありません。
なので、最初は私たちで新聞の注文・配達に取り組みました。
このような町の機能を1つずつ取り戻していくことが、『とみおかプラス』の当初の事業内容です。
すごい・・・
当然、新聞配達業者が戻って機能すれば、『とみおかプラス』の役目は終わって、今は、新聞配達専門事業者さんが配達を行っています。そうすると、私たちは新たな課題に取り組みます。
新たな課題も担う団体が見つかれば役割を移譲し、さらに新たな課題に取り組む、そういうことの繰り返し。
日々取り組む事業内容が変わることも、『とみおかプラス』の特徴です。
まさに町のエンジンですね!
色々な地方創生事業の事例を見聞きしてきましたが、このレベルから取り組むのは聞いたことがありません。
震災によって被害を受けた地域のまちづくり会社の使命だと思っています。
6年間人が住めなくて、人が住めるようになってからは5年。
震災の傷跡はまだありますが、マイナスからゼロに戻し、再スタートを切って、プラスに進んでいる状況です。
富岡町を応援してくれる人の受け皿になる
県外応援者の受け皿として、「とみおかサポータークラブ」を組織し、とみおかアンバサダーによる交流人口を拡大するための活動も行っています。
地場産品の開発や、町の計画づくりにも、力をいただいてます。
また、最近は移住促進にも力を入れています。
町に来てくださった方の満足度を高めることが私たちの役割です。
僕もIターン移住した身なので、どんな活動をされているのか興味があります。
ところで、はまちゃんは移住して何か違和感などはなかったですか?
僕は違和感と言いますか残念なことがありまして。
よくある田舎のご近所づきあいを期待していましたが、移住当初はめちゃくちゃ孤独でしたね。
参考 地方移住した若者が定住しない理由は孤独!自治体は田舎のIターン者を大切にして
そうだったんですね。
町の魅力を発信することはもちろん大事ですが、移住者の不安を取り除くことも重要だと思います。
何か取り組んでいることはありますか?
役場から委託を受けて、移住検討者の相談窓口、「とみおかくらし情報館」の運営と、東京・大阪などでの移住相談会に出展しています。
また、移住支援ではお試し住宅を用意したり、新しい移住者と地域住民の交流の場を、開催することもありますね。
有志を集めて、個人的な異業種交流オフ会もやったりしています。
町の特色として、懐が深く、外の方を受け入れる人が多いので交流は活発ですよ。
地元の方と繋いでいただくことは、本当に移住当初にしてほしかったことなので羨ましい(泣)!
まとめ
前編では富岡町の現状と『とみおかプラス』の事業内容を伺いました。
今回香中さんから聞いた話は、地域活性化に取り組む人にとっては参考になると同時に、身が引き締まる思いをしたのではないでしょうか。
はっきり言って、6年間も人が住めなかった富岡町の課題は、他地域が抱える課題とはレベルが違うと感じました。
いざ「町おこししなさい」と言われても何をすればいいかわからないですよね。
でも、被災地復興の現場では、次から次に新たな課題が生まれてきます。
その課題に向き合い、できることからひとつずつ、町を復興、そしてまちづくりを進めている姿と覚悟に、改めて尊敬の念を抱きました。
後編では、『とみおかプラス』立ち上げ時の挫折や苦労、まちづくりの具体的な成果の事例、今後の展望など、もっと深い内容についてインタビューしています。
コメントをどうぞ